ESSAY

  変速エッセイ 22--- 2008/12/8  


            表現の前後


 難しい話かもしれませんが年末に向けてこれだけはという事を書いてみようと思います。

 ボイストレーナーという立場で歌を指導して来ました。でも本質はやはり歌い手です。

 歌う事を一番に考えます。発声も発音も音程もリズムもすべて歌う為に必要な部品。

 使いこなす事は難しくてもその目的はあくまで「表現」。

 でもなぜかその「表現」の手前になるとレッスンをやめてしまう人がほとんどです。

 それはなぜなのか?

 「表現」に興味がないんだろうか?とか、発声や発音をレッスンする事は嫌じゃないけど

 歌う事に手を入れられるのは嫌なのか?とか、色々と考えてみるのですがよくわかりません。

 ただもしかしてと思う事がひとつあります。

 歌い方に触れられる事を自分の事に触れられる気がしているのかもしれない。

 特に心の奥底に触れられる気がするのかも。考え過ぎであればいいのですが…。

 歌う事は自分を解放する事も閉じる事も出来ますがそれは自分次第。

 本人の気持ちがないものは全く動かせないものです。

 あとひとつ。

 レッスンするからと言って表現の自由がなくなるのでは意味がありません。

 あくまで歌う為のレッスンは感覚、つまりセンスを身につける為のものです。

 強制ではなく助け、つまりヒントです。

 やめてしまった生徒さん達に表現の楽しさを伝えられなかったことはとても残念です。

 いつも私は思っています。「あなたの歌が聞きたい、あなただけの歌が」

 それが表現です。

                                                                                           misuzu

outano-kyoshitsu